第17次「東日本大震災の
     ボランティア」に参加して
 普通
【日 時】 4月29日〜5月3日まで
【天 候】
【参加者】 15名
 

 

【コース】 4月29日移動日
4月30日「栗駒山」交流登山
5月1日 「金華山」登山道整備
5月2日 被災地視察
5月3日 福島第二原発周辺被害の視察のち帰京

往復の距離が3,000kmあり遠かった。車3台全15名参加だ。毎日早起きをし て、
登山、道整備、交流会と忙しい毎日を送った。4/30日の石巻市の水沼から栗駒山
は案外遠く、6時30分に出発しても9時頃に登山出発地点に着いた。前日の冷え込
みで雪が降ったので予定の(いわかがみ平1113m)は通行止めであった。850m地
点からの登山で9時過ぎ出発。フキノトウがびっくりするぐらいの量で咲いている。
強風で当初予定の東栗駒を目指せずに岩崩地点を見られなかった。11時55分に山頂
着(1626)。その頃は風もやみ青空ものぞき海老のしっぽ、霧氷がきっちり出来上が
り、山頂から360度の展望は来て良かった、登ってよかったと感動ものであった。
次の日5/1日は「金華山」。登山道整備には船で海を渡り、ハイキングコースを歩き
ながら道の整備作業をする。岩がゴロゴロした道も以前は歩けるものではなかったら
しい。この日も風が吹いて波がたち船は揺れを我慢。5/2日の被災地視察はボランテ
ィア初めて参加が私も含めて2〜3人いたので改めて案内していただく。大川小学校、
女川被災地、石巻門脇小学校、日和山。近くに北上川と海が見えた。
最終日は5時40分に朝食。6時30分出発までに宿泊所の大掃除をする。お世話になった
宮城県連盟の岡さんにお礼の挨拶をして別れた。真新しい「常磐自動車道」にて福島
に向かう。同乗のメンバーが放射線量の測定を始めたらだんだんと音の間隔が狭まり
「浪江」辺りの音は尋常でなかった。被災地10km以内は事前に車のナンバー等を届
けているから立ち寄れるらしい。「帰還困難区域」という指定地域だ。車のみ通行出
来て、2輪、自転車、歩行者は通行できないらしい。しかし自転車、オートバイ等の人
を見たぞ?勇者?我々も請戸小学校に車を降りたち立ち寄る。立派な小学校だっただ
ろうに津波にのまれたままのすがたのまま残っている廃校だ。この地域そのものが被
災したまま時が止まっている。被災すると言うことを改めて実感した。本来ならば広大
な土地に農作物があり人が行き来して復興に転じていなければならない時間が流れたは
ずである。あるのは黒い除染袋の山済みだ。それもいっぱい。民家の入り口はバリケード
があり自分の家に入れないようになっている家屋があっちこっちにある。悲しい風景である。
心を残して帰路につく。やはり遠かった。
                                           記:・N・M
 

 



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