<歴史ハイキング > 「御破裂山〜明日香村」 |
普 通例会 |
【日 時】 | 2016年11月13日(日) |
【天 候】 | 晴れ |
【参加者】 | 男性 1名 女性 6名 一般 2人 (M1名 W1名) |
【コースタイム】 | 桜井駅南口9:45=バス=多武峯バス停10:06〜10:20 ---談山神社 10:40〜11:08 ---御破裂山11:47---西口分岐12:08---展望台12:48 (昼食) 13:34 ---石舞台休憩所・明日香の夢市 14:37〜14:50---甘樫丘15:59 ---甘樫丘バス停6:16=バス=橿原神宮駅東口16:26 |
【報告と感想】 談山神社は紅葉の名所、普段は乗る人もまばらなバスも、紅葉シーズンの今日は臨時が出て観光客やハイキングの人たちを乗せて登っていく。 多武峯のバス停ですでに400m、屋形橋を渡り大きな杉の立ち並ぶ車道横の道を登っていく。東大門を過ぎると重文の摩尼輪塔が立っている。 入山料600円を払い階段を上る。談山神社はもともと藤原鎌足を弔うため長男・定慧が建立した妙楽寺という神仏混淆の寺で、明治の廃仏毀釈で 神社になった。紅葉越しに見る木造の十三重塔はとても美しい! 塔の横から沢沿いに登っていく。程なく中大兄皇子と中臣鎌足が秘策を練ったという談山(かたらいやま)、更に登ると 鎌足のお墓がある。鎌足のお墓は阿武山へ行った折、京大の地震研究所の横にあった阿武山古墳らしく、ここから御破裂山に移されたらしい。 少し戻り分岐を右へ、カーブの先の細い木に細い赤いテープが巻いてある。ようく見ないと見逃してしまう。かすかな踏み跡をたどるとすぐに4 等三角点の御破裂山である。人の目に触れないような所なのに沢山の山名板がかかっているのが意外だった。 車も通れる広い道を下っていく。民家の横から車道に出たところを左へ行けば談山神社へ、冬野へ、石舞台古墳公園へと道が分かれている。今回 は右の道をとる。三社神社を過ぎると石垣の上に碑があり、大西良慶さん生誕地との説明がある。思ったより時間がかかり先を急ぐ。展望台からは 生駒から二上山、葛城山、金剛山、畝傍山等一望である。ここでお昼とし、ゆっくりとコーヒーで休憩した。 上居(じょうご)へと下る。岡寺への分岐にはわれもこうがたくさん咲いていた。赤くなったカラスウリもぶら下がっている。道の両側に柿畑が 広がってくると目の前に、明日香の棚田が広がっている。彼岸花の季節には赤く染まって案山子が立ち、案山子ロードになるところだ。 石舞台古墳が見えてきた。道ぞいに赤いそばの花がきれいだ。休憩所の先に明日香夢の市があって古代米の定食や明日香鍋など食事ができる。 又、明日香の特産物も並んでいる。いろいろ買い求めて“要、大きなザック”といいながら伝飛鳥板蓋宮跡へと向かう。 ここは4つの宮の遺跡が重なっていて最上層の飛鳥浄御原宮が復元されている。蘇我入鹿が討たれたのは中間層の飛鳥板蓋宮である。5分ほど行 くと飛鳥寺の西に入鹿の首塚がある。余談だが石舞台古墳から車道を東へ上(かむら)という所に“もうこの森”というところがある。鎌足が入鹿 の首に追いかけられ「もう来ないだろう」といったことが由来という。 首塚から車道を横切って北へ行くと水落遺跡がある。天智天皇が作った水時計で農産物販売所「あすか夢の楽市」横の展示館に模型があるが今回 はパス。 この目の前が甘樫丘で蘇我氏の邸宅があったと言われていたが、発掘の結果なかったということがわかっている。登山道はきれいに整備され昔の 面影は無い。途中に犬養孝先生による志貴皇子の“采女の袖吹きかへす明日香風都を遠見いたずらに吹く”という碑がある。志貴皇子は天智天皇の 第7皇子。山城30山で大峰山へ登った時、登山口手前に田原天皇社という説明板があったがこの田原天皇は志貴皇子の諡(おくりな)である。丘 の上からは東に今日歩いた明日香村、多武峰、西に二上山から畝傍山など素晴らしい眺めで何度来てもホッとするところである。 下るとすぐバス停がある。丁度良い時間だったのでバスに乗って帰路についた。 あちらこちらと山へ登っているが目にする遺跡はつながっている事に気がついて面白い。 ( 記 / I.H ) <紅葉真っ盛りの談山神社 青空に映えています> <談山神社の木造十三重の塔の前での集合写 真> <万葉展望台から望む大和三山や歴史ロマンの飛鳥の 里> <すごい名前の御破裂山の頂上 分かりにくい所に四等三 角点がありました> |
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