全国交流登山in福島
 普通
【日 時】 2018年9月14日〜19日
【天 候】
【参加者】 右京1名、他2名、合計3名
 

 

【コース】

【報告】
                                                  記:K・K
退職してから「沖縄と福島を自分の目で見たい」と思っていました。沖縄には今年の1月へ行き、
今回募集を見て申し込みました。京都からは明峯の横井さん、洛中の進藤さんとの3人。横井さん
の運転で1日がかり、やはり福島は遠いです。
 15日は喜多方のメンバー5人、東京2人と私たちの10人で鹿狼山(かろうさん)へ。出発は
午後になり、歩き始めると雨も止んだもの蒸し暑い山行でした。放射線量は0・1〜0・2という
ところ。私が「初めて」と言うと、帰りにJR新地駅、松川浦の灯台へ寄って説明をしてくださいま
した。駅は海に近く、津波の被害を受けた一帯、広大な土地に、駅だけでなく交流センター、ビジ
ネスホテル、観光ファームなどを工事中で、果たして活用されるのか?な思いです。灯台の辺りは
樹木が立ち枯れしていて、10メートル近くまで来たのかなと思います。ただ、海岸線はリアス式
ではないので津波の到来は違ったようです。
 夕方に福島原発訴訟団団長 中島さんの講演がありました。相馬市は松川浦が吸収し浸水ですん
だものの、避難者が日ごとに増え、物流が途絶えた中、小さなスーパーを営んでいる中島さんの店
は毎日大変だったそうです。原発被害は現行法では刑法で責任を問えず、民法で原状復帰を求めて
いるとのこと。このような事故が他の原発で起きても、電力会社に責任を問えないのは変な話です。法整備が必要でしょう。そのためにもこの裁判 が重要になると思います。とてもパワフルな団長さんです。
 16日は相馬の3人、東京1人と私たち3人の7人で日山(ひやま)へ行きました。この山は今
年の6月に登山解禁になり、当日は千人ほどで祝ったそうです。まだつい3か月前のことです。放
射線量は風の通り道や溜まり場で高く(最高1・1)他は下がっていました。頂上には麓の3つの
村の神社があり、鳥居も3つ、お祭りもそれぞれあるそうです。
 帰りに浪江町を通りました。津島地区はいまも帰宅困難地区で114号線のみ通行可能です。各
家の入口には通行止め、それぞれの道にはバリケードが置いてあり、ガードマンが立っています。
車の中で測ってみても止まるとグングン上がり、4.0も超えます。家も学校も牛舎も建物のみ。
本来、農業や畜産業などの豊かな地域だろうに。
 17日帰る前に、浪江朝のJR駅から請戸小辺りを通って、横井さんに説明していただきました。
避難指示は解除になっているけれど、駅前商店街は更地になったところが多く、お店も閉まったま
ま、歩く人も見かけません。小学校の周りには、広大な汚染土の仮置き場が建設中。こんな状況で
町として成り立つのかな、ここで生活できるのかな、家族は一緒に暮らせるのかと思いました。
 地震から7年半、道路はよくなり、新しい道の駅は賑わっていると感じました。相馬の方は「と
にかく来てほしい、見てほしい」との話。いろいろ考えさせられました。

補足
 交流会1日目の夜は日帰りの人も含めて100人ほどの大宴会でした。各府県の自己紹介などで
賑やかでした。福島県連会長さんのお家が喜多方の造り酒屋ということでおいしいお酒も頂きまし
た。
 帰る途中、会津若松城主が参勤交代の時に休憩所としていた大内宿へ寄りました。
美山のかやぶきの里のような素敵なところでした。
 安達太良山はよく見えませんでしたが、帰るとき磐梯山はきれいに見えました。
以前右京の例会で行きましたね。安達太良山はとにかく風が強く、磐梯山は頂上までいけませんで
した。
 また、東北の山へ行きたいです。

 

 



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